思ったこと

人生を企業の経営にたとえると言うのは…

何の冗談だろうと思ったら、結構本気っぽい。
教育を投資と考えて、戦略的に投資(教育)を行うという考え方だと、先を読みきれずに「すばらしい人生」を得られない場合はどうするんだろう?
企業だったら、その会社を畳んで終らせてしまえば良いけど…人生も畳んで終らせてしまいますか?
そうだな、経営と考えたら不良債権てんこ盛りで赤字を垂れ流すだけになってしまった人生は終らせたほうが良いのか。


悲観的過ぎると言われるかも知れないけど、ヒトの人生は必ず赤字だと思う。
以前にも「人生を最適化すると生まれてこなくなる」とどこかに書いた*1
ヒトが物資を消費しなければ生きていけない以上、ヒトの人生は全て赤字だろう。
何かを生産すれば黒字になるというのは考えが甘い。
何かを作るのに、別の何かを原材料として使えば、結局は生産は消費を上回る事は無い。
それでも、富を手にして自分は消費より生産の方が多いと思っているヒトが存在するのは、生産した物の付加価値を原材料よりも高く見ているだけだ。でも、それはあくまでも人の概念としての価値でしかないので、物質的には消費でしかない。
物を作らずにサービスを作ったとしても、物理的に見れば、それはエネルギーの消費でしかない。
それは物質的な話でしかないか、そうか。でも精神的な充足を得た「すばらしい人生」であっても、それによって失われた物、事、感情等と天秤にかけたら決して黒字にはならない気がする。


じゃあ、何で生きてるんだろうか?


…こういう時に先人というのは偉大である。
ある人の親はよくこう言っていた、
「馬鹿なこと考えてないで、早く寝なさい!!」


(笑)

*1:どこだか忘れた。どっかの掲示板だったかな?