…ブログでいいのでは?

オーマイニュース日本版始まる

ちらっと覗いて見た。
なるほど。
でもこれってブログと何処が違うんだろう?
記事自体も裏を取ってる風でもないし、記事の水準を維持するための機能はあまり生きている風でもない*1
鳥越氏の会見で「既存の権力、資本に縛られない形」でやっていくみたいな事を言っていたが、どうせなら、もう一歩ふみこんで既存のマスコミにも縛られないという事も言明してほしかった。
もちろんそうなれば、既存のマスコミの人である鳥越氏は排除されるわけですが。
私見ではあるけど、ジャーナリストの本分は「事実を事実として伝える」事であって、それ以上でもそれ以下でもないと思ってるんで、妙な感情論の多い記事はジャーナリズムとは対極に位置するモノだと思ってますがね。
それこそ、感情論的な言及はブログで十分。

記事が左翼的な記事ばかりになるという意見もあるが、それはまあ当然の話。
何故なら、批判記事の方が書くのが簡単だから。市民を正義の味方にして政府を悪者に、もしくは外国を正義にして日本政府を悪者にするほうが当たり障りが無く、無用な批判を受けないから。とりあえず日本政府が悪いと言っておけば、なんとなくちゃんとした記事っぽく書けるから。
結果、左翼的な内容になるのは当然(むしろ、批判すべき所と評価すべき所をきちんと精査して記事にするのはそれなりの素養か経験が無ければ無理)。
最近だと、どんな記事でも最後に
小泉首相の政策による格差社会の弊害がここでも見られるのではないか?」
とか、それもんの言葉で結んでおくと簡単にそれっぽい記事になる。

例)
さぬきうどんがブームだそうである。関連する映画も公開され来場者の出足も好調らしい。そんなニュースにそそられて近所の立ち食いソバ屋にいってみると、いつものキツネうどんが50円値上げされていた。庶民の食事の代表であるキツネうどんにまで格差社会の弊害が来ているのでないか? もうすぐ退陣する小泉首相はこの市民の状態をどう見ているのであろうか?

冗談のつもりで書いたけど、本当にこういう事を書く奴が出そうだ…イヤだなぁ(笑)。
※例文はフィクションです。

*1:その手の機能が存在はするんだろうけどね。