監督の仕事、選手の仕事

俊輔造反…ジーコと中田をW批判、歴史繰り返す? (http://www.zakzak.co.jp/spo/2005_06/s2005061701.html)

知っての通り、コンフェデ1回戦はメキシコに 2-1 で逆転負けをした訳だが負けるといろいろ出てくるもんである。

「個人の力だけではなく、決まりごとも必要なんだ」

個人的に中村俊輔という選手は「才能が有るのは判るが好きなタイプの選手ではない」と思っているのだが、今回のこの騒動でもこの発言だけは考えさせるモノがある。
中田英は「1対1で勝てなければ…」という類の発言を繰り返しているように見える。たしかに最後に頼りになるのは選手個人の能力だというのは正論なんだが、でもそれって代表で練習するべき事なんだろうか? 代表合宿というのは選手個人の能力を高める為にするものではないんじゃないのか?*1
かつて、トルシエ前監督は「選手個人のレベルアップはクラブチームでする事であって、代表合宿でするべき事ではない」という旨の発言をしていたが今代表でやっている事は、まさにその「するべきではない事」なんじゃないだろうか?

ジーコ監督を持ち上げる人達は「指示待ち」の選手達を「自分で考えて行動する選手」にしたと評価しているが、それもやっぱり代表でするべき仕事ではないと思う。「自分で考えて行動する選手」が必要であれば、その性質を備えた選手を代表に呼ぶのがスジであって、「指示待ちの選手」を呼んで教育するというのは違うだろう。 仮に「自分で考えて行動する選手」が日本人に居ないというならば*2、今日本に居る選手の能力でどうやって勝てるチーム、勝てる戦術を組むのかを考えるべきじゃあないのか? もちろん、チーム構成と戦術を考えるのは監督の仕事である。代表監督というのは、クラブチームの監督のように長い時間一緒に過ごすという事は不可能なのだから「選手を教育する」ではなく「選手を指揮する」事を重要な仕事として動くべきだと思うのだ。


書いているうちに気づいた。私がジーコ監督に感じる違和感は、彼が「教育者」たらんとしている事なのだ。でも代表に必要なのは「指揮官」であって「教育者」では無い。
逆にジーコがどうしても「教育者」であろうとするなら、試合の戦術や采配は別に「指揮官」を立てるべきだと思うのだが、どうだろうか?

*1:結果として個人の能力が向上する事はあるだろうが、それは目的ではないよな。

*2:いないとは思えないが