世界は言葉で出来ている?

舟を編む (http://fune-amu.com/)

ユナイテッドシネマ豊洲にて鑑賞。
で、


おお、なんか面白い。


この「なんか」の部分は正直良く判らん(苦笑)。
さほど強烈にドラマチックな展開が有る訳でもなく、かと言って所謂日常系の映画ともちょっと違う。
あくまでも劇映画なのでドキュメンタリーを意識した訳では無いのだろうけど、主人公の馬締視点による「辞書が出来るまで」というドキュメンタリーっぽくなってる感じ。
そう言う点で非常に興味深く観たというのもあるんだけど、なんかこう人間関係やら日常やら仕事やら猫やらが絡み合ったじわーっと来る感じの映画でもある。
うむ、やっぱ面白い。
こう言う説明し辛い感じの面白さってのは、割と石井裕也テイストなのかもしれんね。前作の「ハラがコレ…」の時の振り切り具合から、ちょっと「川の底…」の辺りまで戻ってきたみたいな感じもするし。


にしても、松田龍平の大熱演は凄いね。「探偵はBARにいる」とか「まほろ駅前…」の時と全然違う人を完璧に演じている感じ。正直、役者として父親の松田優作が辿着けなかった所に既に到達している印象。ちょっと凄い。
回りを固める人達の安定度も良かった。けど、ヒロイン(?)の宮崎あおいの役は、えーと、これ「天地明察」と同じ人に見えてしまった(笑)。まあ、役柄も立場も同じような感じなので演じ分けが難しい、というか演じ分ける必要が無かったのかも知れないけどね。


でもって、これは原作がそうなんだろうけど、ストーリーの時代背景が1995年と言うのが絶妙な時期だと思った。辛うじて手書きの書類が残ってた頃で、PCが一般の人でも普通に使えるようになる直前くらいの時期。劇中でも1995年に使ってるPCはNECPC-9801シリーズだったりして、結構凝ってる。それも、物語が終盤にさしかかる頃になると手書きばかりだった主人公の作業もPCを使うようになるなど、ちゃんと時代が変わっていってるのが判る。
ただ、劇中に有る「これからは電子辞書の時代だから辞書編纂は時代遅れ」という旨のセリフは、ちょっと理解し辛い。電子化されようと、辞書の元ネタとなるデータは人が書いたテキストなんだから、誰かが作らなければ存在しないんだよね。その辺はちゃんと判ってない人という事だったのかな? とか思ってしまった。


ともあれ、松田龍平の怪演やら辞書編纂の裏側やらが観たい人には、かなりオススメ。