そのソフトは誰の物

Togetter - まとめ「ユーザの自由、作者の自由」 (http://togetter.com/li/21134)

いろいろと興味深い。
私自身も昔は世を忍ぶ仮の姿(?)でフリーウェアとシェアウェアを作っていた事もあるので、ちょっと身につまされる。
フリーウェアにそれなりに要望を出してきたり、バグのレポートを送ってくれる人は、作者から見るとユーザーとしては実は割と良い人なんだな。
以前私が作ってたときは、フリーの時は要望もバグレポートも全く来なかったけど、バージョンアップを期にシェアウェアにしたら色々来るようになった*1。その時に思ったのは、人はタダの物はあまり大事にしないんだな、という事。(もちろん例外も有るけど)
なので、そのタダの物に思い入れを持って要望を出す人はユーザーとしては割といい人なのだけど、一つ勘違いしてしまったと思うのは「タダの物を作ってる人の作業や考え方や思いはタダではない」というのを理解出来なかった事。そして最終的には「フリーソフトシェアウェアは作者の物」だという事。
昔、私がシェアウェアを作ってた時に、ソフトのコンセプトと違う要望が出てきたときは丁重に断った。その時は先方に納得してもらったのだけど、今思うとこういう風にバグではない仕様の変更を「社会的責任」とか言われて糾弾されたらイヤだったろうなぁ、と思う。(しかし、今回のケースは社会的責任を感じた故の仕様変更の様に見える)


私もあの時、要望が通るまで抗議されまくってたとしてら……。でも、やっぱり、やらなかったな。うん。*2


それにしても、多段RTを不可能にした事に「社会的責任」なんて有るんだろうか?(笑)


P.S.
ちなみに、今はその手のフリーウェア/シェアウェアは作っていない。理由は MacOSMacOS X になった時に、やりたい事は大抵既存のソフトで出来るようになったから。


で、ついでに

For Whom the Bell Tolls〜誰がために鐘は鳴るフリーウエアは誰のためにあるのか? (http://nmuta.fri.macserver.jp/unei1005a.html#forwhom)

この件に付いてのエントリを幾つか読んだ中では、かなり自分の感覚に近かった。

フリーウエアだから対応する義務はないというのならシェアウエアにすればいい仕様を変更してくれるなら喜んで金払う」という反応をしている人もいましたがこれも見当違いです。

これは全くその通りなのだけど、その辺は大抵理解されないんだな。
シェアウェア・フィーはソフトの代価ではあるけど「自分好みにソフトを改造させる権利」の値段では無いんだよね。

*1:反響が全く無くて誰も使ってないんだろうと思っていたのでレジストする人が居たのには驚いた。

*2:もちろん大金を積まれれば話は別だ!!(笑) その場合は受注開発であってパブリックなソフトでは無いけどね。